Carbon Junction 私と炭素市場との交差点

CARBON JUNCTION vol.2

投稿日: 2025年10月3日

住友商事株式会社
エネルギーイノベーション・イニシアチブ
SBU カーボンソリューション事業ユニット
ユニット長 木下裕介

【略歴】 住友商事入社以降、セメント、食料、投融資審査、木材・森林ビジネスに従事、2021年からカーボンクレジット関連ビジネスをリード、2024年7月から現職。

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空港から出ると、鼻をつく独特なにおい、道行く牛、象は神として崇められている――混沌と活気が同居する魅力に、私は少しずつ取り憑かれていった。

国連で気候変動枠組条約が採択された1993年、小学校低学年だった私は父親の仕事の都合でムンバイ空港(当時ボンベイ空港)に降り立ち、インドで生活することになった。1ルピー(当時3円)を握りしめて買い物に出かけたらバナナが一房買えて経済感覚が狂い、普通にシャワーを浴びていたら家族全員の背中にカビが生え衛生感覚が狂い……。ネットもない環境下、祖母が日本から船便で送ってくれる録画ビデオの「笑っていいとも」と、「その間に流れるCM」で3か月遅れのトレンドを掴むことが数少ない娯楽。 琵琶湖畔の田舎で育ち、強がって真冬も半袖半ズボンで過ごすことくらいしか刺激がなかった少年にとっては強烈な経験であった。

帰国後の1997年、京都議定書が締結されたとき、私は「インドに住んでたから暑くなっても大丈夫やねん!」なんて言っていた。いま思えば、クラスに一人はいるようなお調子者の少年だったと思う。

「少年をいちはやく大人にし、大人にいつまでも少年の心を抱かせる」――有名なラガーマンの言葉である。

学生時代は楕円球を追いかけ続け、激しいコンタクトプレーや男くさいチームプレーを通じ、肉体的にも精神的にも大きくなった。一方で、胸の奥には、少年のように方向性の定まらない情熱を抱え続けていた。そんな自分が次に選んだのが、総合商社というフィールドだった。
海外での仕事をイメージしていたが最初に配属されたのは、いわゆる"丸ドメ"、国内営業の「セメント部」であった。 楕円球に代わり、東京スカイツリーや羽田空港の国際線拡張といった地図に残る仕事を必死に追いかけていた当時は、京都議定書から主要経済国の離脱も目立ち、セメントがCO2を多く排出する産業だという声は微塵も聞こえてこなかった。(少なくとも私には)

いくつかの部署を経た後、「お前ラグビーやってて名前も木の下やから、ニュージーランドで森林事業や!」 とよくある無茶ぶりにて、NZ森林事業の立ち上げ要員としてアサインを受けた。ラグビー大国、自然王国のNZ生活は最高であった。当時任された役割はNZでの森林買収。日々地主との交渉で、「お宅の森林売ってください」と駆けずり回っていた。

ある日、とある森林売買交渉がまとまり、最終契約交渉に入った際、よく見ると契約書の資産項目の中に、「10,000NZU ※」という記載が。 「なんやこれは!こんなん買うといった覚えないぞ」と戸惑ったが、当時NZ$4/NZUで、森林買収の金額に比して小さい金額だったのでそのまま購入した。これが私の初めてのカーボンクレジットとの出会いである。

※NZ ETS(ニュージーランドの排出量取引制度)におけるカーボンクレジット(New Zealand Unit, NZU)

”2022年にはNZ$80/NZUも超え。
日本のGX-ETSでのカーボンプライシングがどう推移するかを妄想する日々

その後、赴任中の2015年にパリ協定が締結され、なぜか森林事業者である私のところにエネルギーメジャーから面談依頼が多く舞い込むように。カーボンプライスも右肩上がりになり、自然とこの仕組みに興味を持つようになっていった。それからは、混沌と活気が同居するカーボンクレジット業界の魅力に取り憑かれていった。

この業界もまだ第2章が始まったばかり。まずは皆で業界を盛り上げていくことからと思っている。そして2050年に業界みんなで同窓会でもして、答え合わせをしましょう。きっとエクスロードが幹事をしてくれるはず!

”現在はマングローブ植林でのボランタリークレジットを開発。インドネシアでのマングローブ苗の植林の一枚

住友商事の取り組み

住友商事では、自然系ボランタリークレジット、Jクレジット、JCMの開発を積極的に推進しています。ご関心ある方は是非お気軽にご連絡ください。
問い合わせ先:eii_cs_mt@sumitomocorp.com

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